会社概要 - (株)堀内建設


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会 社 名 株式会社 堀内建設
代   表 代表取締役 堀内亀雄
事業内容 総合建設業
許可登録 建設業許可 奈良県知事許可(特-24)第12396号
本   店 〒636-0202 奈良県磯城郡川西町結崎220番地
事 務 所 〒636-0202 奈良県磯城郡川西町結崎20-1番地
資 本 金 4,000万円
取引銀行 南都銀行結崎支店
T E L 0745-44-4823
F A X 0745-44-4832
e-mail horiutikensetu@hotmail.com




・沿革、郷土史等
  以下作成中
 昭和25年頃  1950 本店前  昭和25年頃の本店前風景。東向きに撮影。
 左手に結崎小学校正門、中央に火の見櫓が見える。
 右手の建物が『堀内商店』。主に文房具・煙草を扱っていた。
 この頃から堀内石松の息子、堀内隆明が本格的に鍛冶屋を始める。
 
 現在の本店前。
鋤  現存する鋤。当時はこのような農具の製作・修理もしていた。
 昭和30年代前半  1955 結崎水道組合事務所  川西町(当時は川西村)に簡易水道が敷かれ始め、結崎・東城・西城・東方・吐田・梅戸・唐院・保田の8箇所に水源地ができる。
 写真は結崎水道組合事務所(小学校西の旧結崎水源地。北向きに撮影)
 左から丹羽氏、石橋氏、岡田氏、堀内石松。 井戸の管理をしていたようだ。
 この頃から水道屋も本格的に始める。
刻板ないか?
 旧水源地の今の様子。建物の造りが違う。改築したようだ。
小学校運動会  小学校運動会の客席景。来賓席だろうか、女生徒がお茶を配っている。
 昭和34年  1959 式下中航空写真  昭和34年12月。式下中学校航空写真。初期校舎。 
 伊勢湾台風の約3ヵ月後。
 昭和36年頃
 1961 小学校西門  昭和36年頃の小学校東門。第2室戸台風があった年辺り。左奥に寄贈したウンテイが見える。
 (平成15年、グランド整備工事を請け負った際に撤去) 
 このような学校や公園の遊具(鉄棒・ブランコ・ウンテイ・ジャングルジム・滑り台等)をよく製作・設置していた。
 上写真箇所の現在の姿。
 ウンテイはもうないが、後年当社が製作・設置した西門ゲートが残っている。
 現存する遊具。上吐田公園。1枚目はブランコ、ジャングルジム、ウンテイ。2枚目は滑り台。3枚目は鉄棒。
 これらは昭和50年位(30年位前)に作ったもの
 昭和37年頃
 1962 S37結崎小学校  左は昭和37年頃の冬。本店2階より北東向きに撮影。
 交番、火の見櫓、校舎が見える。左端のブロック塀はプール。
 右は現在の火の見櫓(川西消防団第1分団横、商工会館前)。
 昭和62年頃当社が製作・設置。
中村公民館方面 中村公民館方面  同じく昭和37年頃の冬、本店2階より。南東向きに撮影。
 田畑が広がる。
 学校の東の方もトーメン団地がまだなく、同じような風景。
 大体この頃、現校舎が建つ前までの小学校全景。北向き。学校敷地は現築山の西端、サッカーゴールのライン辺りまで。敷地左上が水源地、右下が忠霊塔。
 写真左下にある建物が本店。
 本店2階よりプール下隅切り部。昭和43年ごろ。
 昭和38年  1963  昭和38年4月 1日。 『堀内鉄工所』を創業。
     この頃購入した高速切断機。現在も現役。
 製造年37年と刻印されている。
 昭和39年  1964  左は昭和39年頃、校庭南面にある斜めの木。まっすぐ伸びていたものが2度の台風でこの姿になったようだが、格好の遊び場だった。
 右が現在。太い支柱2本に支えられ、かなり弱っている様子。
 昭和42年  1967  昭和42年 4月 1日。 奈良県水道局発足。
 左は昭和42年頃。小学校で行われた村民運動会にて井戸垣内8班の面々。
 右は同日の校庭。忠霊塔(現在の築山の西にあった。今は役場駐車場西端に移動。)を挟み西、北に当社製作の遊具が見える。
 昭和43年  1968  小学校全面改築が始まる。現在の校舎へと。
 本店景。一階部分が作業場、2階3階が住居部分。
 奥に見える平屋では煙草等を売っていた。
  当時の作業風景、溶接景、作業車。
 昭和49年  1974  左は昭和49年頃。工場より東向きに撮影。小学校体育館、旧幼稚園、旧文化会館が見える。役場は現商工会館・保健センターの辺りに建っていた。
 右が現在。左隅に見える柿の木以外、面影はない。 
 昭和50年  1975  川西村が町制施行して川西町となる。
 昭和51年  1976  昭和51年 4月 1日。川西町上水道給水工事公認業者となる。公認制となったのか? 公認番号:川西町公認第2号
 昭和51年 4月。川西町浄水場が完成。簡易水道を統合し、上水道の供給を始める。 
     昭和51年5月22日。県営水道が川西町に給水開始。
 自己水、県水と供給源が2つになり安定した給水体制が整う。
 昭和51年。 川西町が公共下水道整備事業を開始する。 
 当時の事務所、工場景。 
 
 当時の重機。コマツD10S。前後にレバーがついている。
 まだ旋回機能がなかった頃の重機。
 当時の本店1階。通りに面した部分で煙草、菓子類、飲料、パン、印鑑等を販売していた。
 この頃配っていたマッチ。
 昭和55年  1980  昭和55年9月。 川西町公共下水道流水式。トイレの水洗化が始まる。 
 昭和56年  1981  昭和56年 4月 1日。川西町排水設備等工事公認業者となる。 公認番号:第4号
 昭和58年  1983  昭和58年2月1日。鉄工所・水道屋に加え、下水配管・一般土木の受注割合も増えてきた事もあり、 『堀内建設』に称号を変更する。
 
 平成 9年  1997  平成9年3月31日。 『株式会社 堀内建設』を設立。
 平成○○年  200x  国土交通省工事を元請で初受注。大和川工事事務所、工事評定70.5点。
 東半分水道、団地水道付け替え、水管橋、飛鳥川、寺川改修、東方幼稚園。
 小学校グランド整備、唐院小体育館・音楽室改修。中央道、神社前、面塚前。福祉センター。井戸新旧公民館。 
 平成21年
 直近公共工事元請 工事評定78点(県)。 平成20年9月、浄化センター場内整備(舗装)工事。